パルミラ遺跡 墓

 アラブ城砦のある山の頂上から見たパルミラ遺跡です。前述しましたがどうですか?下左の写真です。まあ全体図はよく分かるのですが、下で感動して見ていた遺跡が上から見るとみすぼらしく感じました。これもローマ軍の破壊による跡でしょうか、はたまた年月のなせる技でしょうか、上から見たくなかったというのが本音でした。

 でも広がるナツメヤシの森や大きな池がハッキリ見えたのは良かったです。地べたからではこうは見えません。ところが目を遺跡の右方向に転じてみると異様な光景が。それが下右です。何でしょうか?見張り塔のようですが違います。のろし台?いえ違います。なんと墓なのです。地上に見えているのは塔墓といってその字の通り塔になった墓です。

 私が思っている墓のイメージにあまりにも違ったのでびっくり。又その塔墓がかなりの数ありました。写真で見える程の大きさの塔墓は大金持ちの墓で資産がかなりないとこれほどの墓は持てなかったのです。

 

 さて山から降りて塔墓へやって来ました。下左はここで最も大きなエラベール家の塔墓です。4階建てで覗き窓もついています。エラベール家というのはパルミラ都市の中のナボ神殿を造る際に多額の寄付をしたという資産家なのです。中に入りました。棺桶は全て持ち出されていて棺桶の入るスペースのみありました。

 壁に奥行きの深い扉のないコインロッカーのようになっていて、そこに効率よく棺桶が収納出来るようになっていました。ユニットバスならぬユニット墓でした。4階まで上がりました。日頃の運動不足の為ハーハー言いながら暗い階段をつまずかずに到着。途中窓から外を見たりしました。それにしても大きな墓でした。

 

 ここには塔墓だけではなく地下墓室もあります。地下は貧乏人かと思われますがそうではなく上右の地下墓室はなかなか立派な物でした。この墓も有名で三兄弟の地下墓室といいます。写真でも分かりますが大きな墓でしょう。エジプトの王家の墓のような雰囲気でしたよ。中はかなり広くてここでも同じようにユニット墓になっていて多くの棺桶を収容出来るのです。

 墓の出来た当時、その一族だけで墓を埋めるには余裕がありすぎたので、お金を取って自分の墓を造れない人の棺桶を収容したのです。言ってみればレンタル墓です。私達の感覚では、一族の墓に他人を入れるなどもっての他と考えるのが一般的だと思うのですがこの時代のパルミラ人は心が広くて寛大だったんでしょうね。(陰の声・・金が欲しかっただけとちゃうのん?)

 

 さて昼食です。マンサクという料理です。写真を拡大して下さい、なんと皿の真ん中にでんと羊の骸骨が口にトマトをくわえて飾られています。まわりは羊やチキンの肉が豆や野菜や米などと一緒に炊き合わせてあります。まあ日本で言えば船盛りで魚の頭が出てくる様なものでしょうか?でも骸骨とは趣味悪いですね。写真にはなりましたが食欲減退しました。私は羊の肉は苦手なのでチキンを貰いました。味は香辛料と塩味であまり美味しいとは思わなかったです。でもシリアの人たちには最高のご馳走なんでしょうね。

 昼食後バスで移動中の道路際にベドウィンの家族がいました。上右です。わずかに生えている草を羊に食べさせていました。ベドウィンとは、砂漠の住人を指す一般名詞で、「アラビア半島を中心にラクダ・羊の放牧や売買をおこない、輸送や他の仕事を営むアラブ系の遊牧民」というのが、ベドウィンの一般的でゆるやかな定義である。彼らの姿は、広くサハラ砂漠の大西洋岸から、西部砂漠、シナイ半島、ネゲブ砂漠、アラビア砂漠とほとんどの砂漠地帯で見られる。(ウィキペディアからの引用)

 

 絶好の被写体です。夢中で撮りまくりました。特に気に入ったのは上右です。左の写真の恐らくお兄さんにイズ ヒー ア ボーイ?と中学1年で習いたてのような英語で聞いたのですが、さっぱり通じませんでした。英語は全く習ってないようです。

 可愛すぎて少女か少年かかなり迷ったのですが多分少年ということで落ちつきました。こんな写真は日本では撮れません。良かったです、でもこの少年はポーズを取るのがうまくカメラ慣れしているのが少し気になりました。これまで日本人観光客のモデルに何回もなったのかなあと思いましたが考えすぎでしょうか?でも良い写真が撮れて凄くうれしかったです。

進む