ワルシャワ2

  旧市街へやって来ました。この辺は、昔の街並みがあり、雰囲気は抜群です。でも実は、これらも第2次大戦末期1944年にドイツ占領軍に対してワルシャワ市民が一斉蜂起した結果、20万人以上の人々が犠牲になり建物もほとんどが破壊されたのです。ワルシャワはなんと85%が破壊されたのです。

  それらを戦後、過去の写真や絵や人々の記憶を元に「壁のひび1本にいたるまで」忠実に復元したのです。もうここまで来ると執念だと思いました。それだけポーランドに対する熱い思いいれがあったのでしょう。そのことを頭に浮かべながら拡大してご覧下さい。又感動が違うでしょう?。下3は多分バターを作る道具だと思います。実用品なのかインテリアなのかちょっとわかりませんでしたが、目を引きました。

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  下1は、旧市街市場広場です。大きな広場で廻りにレストランや喫茶店や土産物や青空の画商もありました。ずっといても飽きない落ちついたたたずまいでありました。下2、3はバルバカンという砦です。昔は牢獄や火薬庫として使われていたそうです。ここも戦後の復元です。煉瓦が美しかったです。

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  バルバカンを過ぎると下2の家に来ました。ここがあの有名なキュリー夫人の生家なのです。現在はキュリー夫人博物館になっています。中には入りませんでしたが、外のプレートに感激?しました。下3がそのプレートです。拡大していただければ、名前がわかります。

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   ここからバスに乗り数分で着いたのがワルシャワゲットー記念広場です。ゲットーとはユダヤ人だけを隔離して住まわせた場所のことで、当時ここには約50万人が住んでいたのです。戦争中ここでナチスに対して蜂起した事を記念して作られたのが下1の記念碑です。この記念碑の石は元々ナチスがリトアニアから新ゲルマン国家の記念像を作るために運んであった石材だったのです。

  それが戦後この像を作る材料になったのです。皮肉と言えば皮肉ですね。裏へ廻ると下2の強制収容所へ連行されるユダヤ人の姿をかたどったレリーフがあります。これも拡大して下さい。人々の悲しそうな表情がよくわかります。記念碑の前には多くの花束があり今でも戦争が風化していないポーランドの人達の気持ちがひしひしと伝わって来ました。良い勉強になりました。       

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