ザモシチとマイダネク収容所
明くる日は、ザモシチへ行きました。ここは多くのポーランドの街が破壊された中で奇跡的に残った16世紀に出来た要塞都市です。建物はすべて当時の物です。旧市街全体が世界遺産になっています。下1は市庁舎です。
下2は大市場と呼ばれている広場にある建物です。当時のまま残る美しさをご覧下さい。下3はこの広場の近くにある、第2次大戦中にこのザモシチからも強制連行された子ども達の慰霊碑です。多くの子ども達が犠牲になったのです。碑の文字はわからないのですが、ヒットラーと書いているのはわかりました。レリーフのやせ細った子ども達の姿が無惨です。
次はマイダネク強制収容所跡です。アウシュビッツよりも先に出来た収容所です。ポーランドで二番目に大きな収容所です。広大な敷地でした。廻りには二重の鉄条網が張り巡らされ、異様な雰囲気でした。木造の監視所も不気味です。かなりの部分が破壊された為に戦後忠実に復元されました。
ここは日程に入ってなくて特別に寄ってもらったのでラッキーでした。そのために中の博物館は入りませんでしたが、外側の見学で十分でした。下3は当時のまま残っている収容所長の住居跡です。册の外にぽつんと建っていました。
下1、2は木の册です。二重になっています。中の広大さがよくわかるでしょう。下2の左上に写っているのが焼却炉です。下に全景があります。
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これがその全景です。完全な形で残されているのはここだけだそうです。ゴミの焼却炉ではありません。1日に約1000人の遺体を焼いたのです。下2の中央は焼かれた人間の灰なのです。膨大な量です。後ろにいる人と大きさを比べて下さい。すごいでしょう。こんな展示物を見たのは生まれて初めてだったので、やはり何か胸に迫ってくるものがありました。慰霊碑などよりも遙かに価値がありました。
その前には花が供えられてありました。この横にポーランド語で「これは私達の警告です」と書かれてありました。二度と過ちを繰り返さないための決意が込められていました。こんな広大な土地を残していることでポーランド政府の歴史に対する姿勢がわかったような気がしました。歴史の不都合な部分は、削除してしまうような国の姿勢では、誤った歴史が繰り返される様で心配になりました。