アウシュビッツ収容所2
収容棟の中は多くの展示物が置かれています。前にガラスがあるためにフラッシュがたけずやや不鮮明で申し訳ありません。下1はめがねです。ソ連軍の侵攻が近づき犯罪の跡を消すためにナチスは35棟の倉庫に火をつけて燃やしてしまったのです。ところがその中で6棟だけが焼け残りその中にあったのが現在展示されている物なのです。
下2は義足などです。ここには、ユダヤ人だけではなく身体障害者や精神病患者やジプシーや同性愛者やもちろん政治犯、ロシア兵捕虜、神父、知識人、レジスタンスなど戦争遂行に邪魔になるあらゆる人々が送られたのです。下3はボールです。あまりのおびただしい数に圧倒されました。新生活を夢見て持って来た道具が寂しく何も言わずに持ち主の帰りを待っていました。実はここへ連れて来られた人々はまさか殺されるとは夢にも思っていなかったのです。
もしわかっていればのこのこと来ないでしょう。新しい土地が与えられ、生活出来ると言われやって来たのです。中には、ナチスから存在しない農場、土地、商店などの代金を払って来た人もいるのです。ひどい話です。そして虐殺がばれないように収容所の周辺の住民は遠くへ強制疎開させられたのです。
下1は靴です。何でこんな物がと思われるほどのぼろぼろの靴まで保管されていました。下2はカバンの山です。名前が書かれてあります。これは、後で返すのでと言われ名前を書かされたのです。でも誰一人として返された人はいなかったのです。
拡大すれば名前が読めます。真ん中のカバンにはクララという名前がわかります。カバンの名前には、さすがにじんと来る物がありました。持ち主の無念さが伝わりました。下3は又驚くなかれ髪の毛です。
この髪の毛は、ガス室で殺された後切られた物で戦後倉庫から7トンの髪の毛が見つかったのです。そしてそれを使ってマットレスや布地を作ったのです。下1,2はその製品の布地です。拡大してじっくり見て下さい。これはもう狂気の世界です。
そしてその右は毒ガス、チクロンBの空き缶です。この収容所だけで1942年から1943年までの間に2万キログラムの毒ガスが使われたのです。そして髪の毛だけではなく金歯を抜きそれを金塊にしてドイツ本国へ送ったのです。それらの作業もユダヤ人が強制的にさせられたのです。