ビルケナウ収容所

  次はアウシュビッツ収容所から3km程離れたビルケナウ収容所へ行きました。ここも元々はブジェジンカ村であったのをナチスが、ビルケナウに改名したのです。これもドイツ語読みです。今まで見てきたアウシュビッツに比べて遙かに広大な敷地にもうびっくり。それもその筈です。53万坪300棟以上のバラックがあり、10万人規模の収容能力があったのです。

  そしてここには、4棟のガス室・焼却炉や野外焼却場まであったのです。その中で45棟の煉瓦作りと22棟の木造の収容棟がほとんど完全な姿で残っていました。下1は入り口近くの光景です。鉄条網と監視塔が整然と並んでいました。ここは一重なのですが、内側にから堀があり簡単には越せないようになっていました。こうも大きいと二重にするには、資金が多くかかったからなのでしょう。

  下2は、ナチスの中央衛兵所です。その下中央には線路の引き込み線があるのです。下3が中から見たその正面の写真です。この門は当時死の門と呼ばれていたのです。送られてきた人々は何と貨車から降ろされるともう収容所の内部だったわけなのです。そこでナチスから「おまえ達に出口は一つしかない。焼却炉の煙突だ。」と言われたのです。  

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 下1,2がその引き込み線です。両側に広がる敷地の広さがわかるでしょう。もう向こうは肉眼では見えません。今は破壊されて残っていませんがここにびっしりと収容棟が建っていたのです。この収容所には水がなく、衛生的にも悪くネズミの大発生が更に環境を悪化させたのです。

  時間があれば向こうの方まで行きたかったのですが、時間がなくて入り口付近の見学で終わったのは残念でしたが、ツアーのみなさん全員、ここの広さに愕然としたのでした。ナチスがここでやったことはアウシュビッツとほぼ同じです。規模が大きくなっただけなのです。

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 下1,2は死の門から入ってっすぐ右側に広がるバラックの収容棟です。当時のまま残っていますのでじっくり拡大してご覧下さい。   

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  これも内部の様子です。監視塔や鉄条網が当時の悲惨さを物語っています。実際には見に行かなかったのですが、ここの解説書によると鉄道の引き込み線の1番奥には、2棟の焼却炉・ガス室ががれきの形で残っているのです。

  それらは撤退するナチスによって犯罪の跡を消すために爆破されたのです。しかし跡を見るだけでも死刑を宣告された人達が裸になった地下の脱衣室、そしてガス室がはっきりわかるそうです。1階には5台の焼却炉の跡とそのレールがはっきり見えるそうです。今も歴史の証人として残されているのです。   

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